ベツレヘムの密告者

マット・ベイノン・リースの『ベツレヘムの密告者』(ランダムハウス講談社、2009年)を読んだ。この著者の初めての邦訳本。パレスチナベツレヘムを舞台にしたミステリー。占領・被占領の物語というより、イスラエルの占領に抗するパレスチナ人の抵抗勢力内の殺人事件とイスラエルのコラボレーターを描いた小説。コラボレーターの問題というのはとても難儀なものだ。占領ゆえに生まれたもの。

どんなものかなあ、と思いながら読んだところ、物語としてはそこそこおもしろく読めるものだった。アラビア語の表記が気になって仕方なかったけど(それは翻訳者の問題)。ベツレヘム在住のパレスチナ難民の歴史教員のオマー・ユセフ(オマル・ユーセフとすべきかなあ・・・)を主人公とするミステリー小説は、今後もシリーズとして書かれるみたい。すでにこの本を入れて4冊発刊されてる(原文は英語。邦訳は『ベツレヘムの密告者』だけ)。

時間があるときに読むにはちょうどいい。あ、でもついついパレスチナを舞台にした小説だから、時間がなくても読んでしまう・・・。

久しぶりの日記。今後のことなど。

ああ、久しぶりに書くブログ。実は1年以上書いていない。単に忙しいからなんだけど、書かなくなると本当に書かなくなっちゃうね。

忙しいからといって読書していないわけじゃない。かなりしてる。仕事上、そうせざる得ないし、読書は私の趣味だし。活字中毒

とりあえず、この一週間くらいで読んだ本を挙げておこうかな。
これからはとりあえず、読んだものくらいはリストアップしておく
ことにしようっと。

1. サラ・ロイ(岡真理・小田切拓、早尾貴紀編訳)『ホロコーストからガザへ:パレスチナの政治経済学』(青土社、2009年)
→この本は一読する価値、あります!非常に重要な本です。私は一所懸命読みました。イスラエル占領政策を経済学の視点からとらえ、パレスチナ、特にガザの問題を人道的問題としてとらえるのではなく、占領の問題として理解することを促している素晴らしい本です。占領の不可視化されたイスラエルの占領問題が実にわかると思います。とにかく買って、借りて・・・、読むべし。そして図書館にも入れるべき本です。

2. 森枝卓士『食べてはいけない!』(白水社、2007年)
→この本も純粋に面白いです。食べることにこだわりがある人は一読してみれば。私は食べることが大好きなので、先日、大阪の本屋さんに行ったときについつい買っちゃいました。文化とは何かを考える上でも少々参考になります。森枝さんの本、昔から好きなのよね。

3. バニース・アイゼンシュタイン『わたしはホロコーストから生まれた』(原書房、2009年)
→うーん。それほど面白さを感じなかった。世界6カ国で翻訳出版なんて書いてるから、つい買っちゃったけど。深みのない本。プリーモ・レヴィのことも引用してたりするから買ったんだけどねえ。特に読む必要もないんじゃないかしらね。この著者、イスラエルにいたことがあるとのこと。そこでどう感じたのかなあ。ついサラ・ロイと比較してしまうので、この本のよさを見いだせなかったのかなあ。

4. 吉田修一横道世之介』(毎日新聞社、2009年)
→純粋におもしろいよ。私の学生時代の個人的なことをいろいろシンクロさせながら読んじゃった。妙に新鮮に感じてしまった。吉田修一さんと私は学生時代が一部重なっている。本人は覚えてないだろうけど、若かりし頃の吉田さんにインタビューしたことあるのよね。最初に大きな賞を受賞したときのこと。こんなに売れっ子作家になるとは思っていなかったけど。それ以来、本屋さんで彼の本を見かけると、とりあえず手に取ってパラパラと見てます。

他にも論文とか報告みたいなものを結構読んだけど、とりあえずリストにするのは、本だけにしておこうっと。

イラク:米軍脱走兵真実の告白

ジョシュア・キー&ローレンス・ヒルイラク 米軍脱走兵真実の告発』(合同出版、2008年)を読んだ。これは私が今年読んだ本のなかで、最もヒットだった本の一冊だったと思う。米国で誰が軍隊に志願するのか、リクルーターの説明の嘘、イラクに派兵された米兵たちが一体何をしていたのか、なぜ脱走することにしたのか・・・、これらが綿密に書かれている。

文体はけっして難しくないので、すぐに読める本ではあるけれど、内容的に重みがある本だと思う。イラク関係の本は、イラク人本人、日本のジャーナリストによる本、学者が書いたイラク書があるけれど、2003年のイラク戦争に従軍した米兵が書いた本は、日本では発行されていないはず(もしあったら、ごめんなさい)。

私が思ったのは、ジョシュア・キーさんという元米兵(カナダに亡命申請中)は、非常に素朴な米国の田舎の青年なんだと思う。労働者階級出身で、高学歴でもなく、米国で家族を養っていくことが経済的に非常に困難になったとき、米軍に入隊。よくある話だ。家族がいるので、戦闘地には送られない、というリクルーターの話は完全に嘘だった。彼はだまされて、イラクに行き、そこでイラク人の家宅捜査などを担当し、最初は金品を盗んだりしていたものの、そのうちそれが間違った行為であることに気がつくようになる。米軍がイラク人に恐怖を与えていることに気がつき、彼は最終的に米国に休暇で帰ったときに脱走する。これは非常に大きな勇気を必要とするものだ。そう思っても簡単にできるものではない。彼の場合は、心のなかで良心を行動に移す決意をすることが、良心の葛藤に苦しみながらも米軍に従事し続けることに勝ったということなのだろう。

おそらく同じような悩みを持っているのは、ジョシュアさんだけではない。現実の姿を見たとき、あるいは自分たちがやっている行為に向き合ったとき、疑問を持つ兵士は他にもいるだろう。人間は理性的ではない。これはこの本でも証明されている。しかし、その言葉だけで人を判断できない、ということをこの本は描いている。

読んでほんとうによかった。ジョシュアさんのカナダでの亡命申請が正式に認められますように。

お父ちゃんと私

 水木悦子『お父ちゃんと私−父・水木しげるとのゲゲゲな日常』(やのまん、2008年)を読んだ。最近は死刑関係の本ばかり読んでいたので、たまにはちょっと違う種類の本でも読んでみようかと思って買ったもの。

 ヒット。純粋におもしろい。勤め先の生協の書籍部で目にして、おもわず買ってしまった。水木しげるの故郷である境港は、私が住んでいる松江からそれほど遠くない。20キロほどの距離だ。自転車で行こうかと思っていたところ、すっかり冬らしい気候になってしまったので、今年中は無理そう。

 水木しげるといえば、「ゲゲゲの鬼太郎」。小さい頃、大好きな漫画本の一つだった。ねずみ男がそれはそれは大好きで大好きで・・・。

 水木しげるは、「変わり者」なんだ、と思う。これはポジティブな意味でのこと。この本の著者は彼の次女。水木プロダクションの社員産でもあり、身近でお父さんの姿を見てきた人だ、と思う。彼女の目から見た「お父ちゃん」は、相当な「変わり者」。とても愛嬌がある。それから、言葉の壁があろうともなかろうとも、人とうち解けるのが好きな人なんだと思う。海外旅行に関するエッセイを読んでいて、私はベットの上で一人でくすくす笑っていた。本を読みながら笑うなんて、久しぶりだ。

 水木しげるの睡眠と食べ物に対する執着はすごい。寝ている人を起こさない、というポリシー?考え方に共感。それから会話の内容もとてもユニークだ。だからこそ、あのゲゲゲの鬼太郎が生まれたんだろうなあと思う。妙に納得。

 タヒチ旅行中に短パンをはきたくなった水木しげるが、ラクダのパンツ一枚で出かけようとして、ホテルの従業員に注意された話は、思わずその光景を想像しちゃいそうになってしまった。朝から大福餅を4コも食べた話とか、飼い猫に話かける話もね。あんまり書くと、ネタがばれるので、やめとくけど、とにかく頭をリフレッシュさせたいときに読むのに、とても適している本。おすすすめ。

アメリカで死刑をみた

 今日、紹介する本は布施勇如『アメリカで死刑をみた』(現代人文社、2008年)。この本はいろんな意味で、盛り沢山の本だった。新聞記者だけあって、非常に読みやすい文章で書かれているので、結構、読み物としてすらすら読めてしまう。でも内容は考えさせるものだ。

 米国留学中に刑事政策を専攻した布施さんは、そのなかでも特に死刑問題を中心に学んだ。でも、本は、留学先の大学で学んだこと、というよりは、そこを基軸にして、死刑関係の集会や犯罪の被害者の遺族、刑務所関係者、死刑廃止論者の弁護士などから、丁寧に話を聞きとったことをルポルタージュのようにまとめている。また彼はタイトルが示しているように、実際に薬物注射による処刑を取材している。

 とても正直な印象を受ける本だ。死刑問題というのは、感情によって左右されやすいものなのかもしれない。私は、今までずっと論理的に死刑廃止を訴えようとしてきたけれど、他のテーマだと同じような理論を受け入れることができたとしても、死刑問題になるととたんにその思考を鈍らせることがある。それと感情というのは無縁ではないのかもしれない。

 被害者感情という言葉が一人歩きしたり、死刑を肯定するために、わざわざ非遺族によって被害者感情と言う言葉が容易に用いられたりする様をみていると、死刑というのは感情という蓑を着た政治問題なんだろうとも思う。

 この本を読んだときに思ったのは、誰が死刑を適用され、誰がその適用から逃れることができるのか、ということだった。この本に限らず、かなりの数の本や論者が指摘しているように、死刑判決にはレース、貧困などが大いに関係している。だけど、それだけではない。手続き上の不備から、判例上での解釈では死刑判決が出されるところ、減刑され、命が繋がるケースが実際にあったという。えん罪も多い。

 死刑肯定論者は死刑だけを特別視するな、間違いを犯すこともあるけれど、それは少数だ、といった主張をすることがある。これは日米にそれほどのはなさそうだ。これはとても危険な思想だ。死刑は何よりも貴重で取り返しがつかない命の問題・生存と死の境界線を扱っているからである。

 しかし、えん罪を根拠にする死刑反対論は、死刑廃止論のいくつかの根拠の一つにはなったとしても、最も大きなものとはならないだろう。それは、えん罪がなくなれば死刑制度に問題はない、という逆説も成り立ってしまうからだ。

 米国では実は処刑数は減っている。一方、私の足元の日本社会では死刑判決が以前よりも随分多く出されるようになり、実際に確定死刑囚に対する執行は早いスピードで続いている。どちらの社会でより問題が深刻化しようとしているのかを日本に住む私たちは考える必要があるのではないか?
 

クロカミ

 とても忙しくて本の紹介を書く暇がありませんでした。でも結構、いろんな本は読んでいたんだけどね。今日は久しぶりに、本を紹介することにしました。つい二日前に読み終わった今井恭平『クロカミ:国民死刑執行法』(現代人文社、2008年)。

 この本は、国民死刑執行法が導入された日本という設定で、執行者に選ばれたものと執行される側、つまり確定死刑囚の姿を描いたフィクションである。

 なぜこの本を紹介しようと思ったのか。それは、死刑をあたかも他人事と思い、傍観している現在の日本社会の矛盾をついているという点において、非常にすばらしい物語だと思ったからだ。そう。私たちは死刑というとあたかも自分には関係ないことだと思っている。それでいて、死刑には賛成という立場を取る人も少なくない。実際、執行が次々と起きている社会なのに、それは別世界で起きているような感覚でいる人も多いように思えるし、死刑判決が連発していることにも無関心か、許容する=当然のことといった態度を示す人も多いように思えるこの頃。

 私たちの視点に抜け落ちていること。それは、死刑制度によって生きている個人の命が否定され、奪われている、ということだけでなく、それを仕事として執行する立場に置かれている人々がいるということなのではないか。この本は、死刑制度がある国で、そしてそれが実際に動いている国で、刑務官としてではなく、国民の義務として執行人になることが求められると設定したことで、私たちの盲点をついているのである。

 生きている生身の死刑囚の命を国民の義務として奪う行為をしなければならなくなったら、どうするのか。それは極端な設定ともいえなくはないが、だからこそ私たちに死刑というものが何を意味するのかを考えさせるのである。

 一度この本を読んでみるといい。けっして難しいストーリーではない。すぐに読める。そして読み終わったら、今、私たちがいるこの日本社会で何が起きているのか、それを見ようとしていないのは誰なのかを考えてみると死刑制度に関して、新たな一面を見出すことができるかもしれない。

 同じく、文芸誌すばるの2008年11月号に掲載された中村文則『何もかも憂鬱な夜に』も読んでみることをおすすめ。

久しぶり、の日記

 ずっと読書日記を書いていなかった。忙しすぎて、どうにもこうにも・・・。本を読んでいなかったわけではなくて、実は結構忙しいのに、読んでた。って矛盾してるかな。

 私の場合、読書は現実の忙しさからの逃避。読んでいる本がいいとは限らない。ひどい本もあるし、読む価値がなかったものもある。

 ここであげるとすれば・・・。ノルウェーのジャーナリストのイラク戦争関係の本かな。
アスネ・セイエルスタッド『バグダット101日』(イースト・プレス、2007年)。翻訳する価値あるんかな、というレベルの低い本。戦場ジャーナリストの彼女は、イラクのこと、アラブのこと、何も分かっていないまま、戦場ジャーナリストでありたいために、イラクに行ったとしか思えないわ。爆弾を落とされる人々に対する眼差しはほとんどない。ただ、多少興味深いのは、サダーム・フセイン政権時代のイラクに入ろうとする「西側」ジャーナリストがどれだけ苦労してビザを入手していたのか、あるいは入手できてもその後、滞在許可が延長されることの困難さ、などが語られていた点かな。

 戦争に関する記述ははっきり言って、洞察力がないとしかいいようがない。彼女は、『カブールの本屋』という本で世界的に非常に売れたジャーナリストだけど、そもそも非常にオリエンタリストの視点そのものでしかものを分析できないようなので、そんな本が売れるということ自体、この世界のおかしさを物語っているとしかいいようがない。

 カブールの本屋に関してはまだ全部読んでいないので、批評はまた今度。