累犯障害者

今日は午前中に大学に行って、オープンキャンパスに参加。私は11時半くらいから13時半くらいまでに仕事があるだけで、そのあとは特に用事はない。なので、帰宅。帰宅途中に自転車がパンクしたので、大学の近くにあるバイク屋さんに持って行ったところ、直してくれるとのこと。よかった。明日の夕方までには直りそう。そのあと、この辺で一番大きな本屋さんに行き、本を三冊購入。

昨晩は結果的に、ずーっと読書してしまった。何を読んだかというと、次のもの。

1. 山本譲司累犯障害者』(新潮文庫、2009年)
⇒大変評判になった本の一冊。読んでいなかったので、今頃。著者が獄中にいたときの経験から、何らかの障がいを持つ受刑者、障がい者に対する冤罪事件、ろう者間の犯罪事件等を追ったもの。彼は大変温かい人柄を持っていると思う。政治家としてやっていけなくなったこと、実は大変残念。福祉の意味を考えさせられるとともに、今まで考えてもいなかったろう者間のコミュニティのことなどを想像してみた。私は死刑制度や社会的排除と受刑者の問題に強く関心があるのだが、受刑者が<社会復帰>するために必要となる受け皿が適正に制度化され、アクセスしやすくならないと社会排除は続く。そんなことを考えた本だった。一つ気になったのは売春観。うーん。モラルとして売春をみていいのか。社会のジェンダー従属関係をみる方が先だと思うんだけどね。これだけは歯痒かった。

2. 橘由歩『身内の犯行』(新潮新書、2009年)
⇒この本は自分で買ったものではない。友人がくれたもの。じゃなかったら、たぶん手元にはない。買うことはないと思うから。でも、人からもらうとなんとなく読んでしまう。読んでみての感想。最初はなるほどと思いながら読み進めた。親密圏内にある者たちの間で起きる犯罪。DV被害から逃れるために夫を殺害した女性。抑圧的な親を殺した子ども・・・。子どもの話は読んでいて、大変つらくなったが、そして非常に考えさせられたが、DV被害女性による夫殺人に関する分析は、かなりネガティブな意味で気になった。DVのサイクル。逃げ出したくても逃げられない。経済的理由、家の問題等。それはいい。事実、そうだと思うから。でも、DV被害者が一度逃げ出して、加害男性のところに戻る、ということに関する記述に関しては問題があるように思う。戻りたくて戻っているわけではない、という人も多い。家を出て行くところもない人。シェルターのことを知らない人。実家にいられなくなり、家に帰るしかなくなった人。離れられない<情>。理由はいろいろだ。問題は、著者がこのように加害男性のところに戻った女性のことを、ともすれば批判と受け止められかねない表現をしていること。結構、不快になってしまった。

女性を責める社会。男性が女性を責める。女性が女性を責める。自分は絶対的に安全圏にいながら、<逸脱>行為をした女性たちを責める人々。私はそんな視線が嫌いだ。