クロカミ

 とても忙しくて本の紹介を書く暇がありませんでした。でも結構、いろんな本は読んでいたんだけどね。今日は久しぶりに、本を紹介することにしました。つい二日前に読み終わった今井恭平『クロカミ:国民死刑執行法』(現代人文社、2008年)。

 この本は、国民死刑執行法が導入された日本という設定で、執行者に選ばれたものと執行される側、つまり確定死刑囚の姿を描いたフィクションである。

 なぜこの本を紹介しようと思ったのか。それは、死刑をあたかも他人事と思い、傍観している現在の日本社会の矛盾をついているという点において、非常にすばらしい物語だと思ったからだ。そう。私たちは死刑というとあたかも自分には関係ないことだと思っている。それでいて、死刑には賛成という立場を取る人も少なくない。実際、執行が次々と起きている社会なのに、それは別世界で起きているような感覚でいる人も多いように思えるし、死刑判決が連発していることにも無関心か、許容する=当然のことといった態度を示す人も多いように思えるこの頃。

 私たちの視点に抜け落ちていること。それは、死刑制度によって生きている個人の命が否定され、奪われている、ということだけでなく、それを仕事として執行する立場に置かれている人々がいるということなのではないか。この本は、死刑制度がある国で、そしてそれが実際に動いている国で、刑務官としてではなく、国民の義務として執行人になることが求められると設定したことで、私たちの盲点をついているのである。

 生きている生身の死刑囚の命を国民の義務として奪う行為をしなければならなくなったら、どうするのか。それは極端な設定ともいえなくはないが、だからこそ私たちに死刑というものが何を意味するのかを考えさせるのである。

 一度この本を読んでみるといい。けっして難しいストーリーではない。すぐに読める。そして読み終わったら、今、私たちがいるこの日本社会で何が起きているのか、それを見ようとしていないのは誰なのかを考えてみると死刑制度に関して、新たな一面を見出すことができるかもしれない。

 同じく、文芸誌すばるの2008年11月号に掲載された中村文則『何もかも憂鬱な夜に』も読んでみることをおすすめ。