占領地ガザ、ほか

本当はやらないといけないことばかりあるけれど、思ったより仕事ができていない日々。暑くて疲れてる、ことも大きいかな。私は湿気が苦手だからなあ。イギリス時代がよかったー。夏も涼しかったし。湿気もあんまりないし。快適だったなあ・・・。日本の夏はほんまにつらい。

と書きつつも、今週は新潟での恒例の集中講義をやってました。月曜日から木曜日まで。15コマ分。ふう。疲れたー。日曜日は東京で所属学会の幹事会があったので、それに出席してから新幹線で新潟へ。

いつも、新潟に滞在するたびに、いろんな仕事をしてしまおうと思うんだけど、一日に4コマ連続教えると、さすがに疲れて、ほとんどできず。結局、持って行った仕事はできず。一つだけ、短い、短い原稿を書いたか。でも、コラムも監訳もできず・・・。で、結局、夜はホテルで読書してしまった。それはそれでいいんだけどさ。

読んだ本は以下のもの。こういうときはいつも漫画もたくさん読んでしまう。漫画好きだからなあ。夫も漫画が大好きで、確か先週の土曜日?は夜は二人でずっと漫画を読んでしまった(笑)。二人とも、現実逃避の手段にしてるね。漫画に没頭して。

グロリア・エマソン『占領地ガザ−抵抗運動インティファーダの日々』(朝日新聞社、1991年)
⇒この本、読んでよかった、と思う。1987年に始まった第一次インティファーダ下のガザの様子を断片的に知ることができた。ラジ・スラーニ氏のこの時代の活躍も書いてあって、それは私にとって新情報だった。後はガザの女性たちの話もね。アラビア語の表記が問題なのよね・・・。名前の表記くらい、なんとかならなかったのかなあ。まあ、私もあんまり人のこと言えないかもだけどね。かなり気になってしまった。

長田鬼門『死刑のすすめ−積極的死刑拡大論』(東洋出版、2010年)
⇒読んでいる途中から吐き気がしそうだった。というか、吐き気がしたけど、読み終わらないと批判もできないかと思い、必死に読んだけど・・・。結果としては二つ。非常にくだらない本。批判するにあたらず。論理的にも矛盾だらけ。読む価値、まったくなし。ある意味、押しつけがましい宗教本とも思えるような感覚に陥る本だった。それから、この著者、法律のこと、法曹界の役割のこと、もっと勉強すべし。まったく分かっていないらしい。ということで、読んでも意味ない本の一つだと私は思ったわ(それは死刑推進派だから、という意味ではなくて、勉強にならないからお金と時間の無駄、という意味で)。

水木しげる『ビビビの貧乏時代』(集英社、2010年)
⇒小さい頃、水木しげるの強烈なファンだった私。ゲゲゲの鬼太郎が大好きだった。これは別にテレビの影響でもなんでもなくて、とにかく好きな漫画だった。強烈な印象を与えてくれたからなあ。松江に引っ越してから、彼の本を積極的に買うように。ほんまに貧乏やったんやなあ、と本を読むたびに思います。水木しげる、という人の極めて個性的なキャラクターにも惚れます。

いくえみ綾『私がいてもいなくても1』『私がいてもいなくても2』(集英社、2010年)
⇒名前は知ってたけど、読んだことなかった。女性を主人公にした漫画好きなので、結構、夢中になって読んだよ。これ、おもしろいよ。物語として。

さいとうたかを鬼平犯科帳43』(リイド社、2010年)
⇒とりあえずこのシリーズが出たら、立ち読みしたり、食堂で読んだり、買ってみたりするもの。私、基本的に、「刑事もの」(といっていいのかな?)好きなんだよね。『弁護士のくず』も大好きだし。ついでに『新・逃亡弁護士 成田誠』も出たので、先週の土曜日に買って読みました。とりあえず続きが始まってよかったわ。どうなるかと思ってたのよね。

細野不二彦『ダブルフェイス22』(小学館、2010年)
⇒このシリーズもまあ、機会があれば読んでるので、その続きという感じ。やっぱりビックコミックス系は買ってしまう・・・。好きやなあ。

新潟で読んだ本はこんな感じ。松江に戻ってきてからは・・・。昨日(金曜日)、さっさと採点を終わらせたので、今日は本当はすることたくさんあったのに、ついつい本を読んでしまったー。採点みたいなものは、一気にやらないと終わらないので、性格的についついさっさとやるんだけど、そうなると本に没頭してしまうときがある。あ、でも、一応、今日は前々から頼まれていた友人のパレスチナ報告(かなり長い。2万字近い?)を見て、いろいろ直してあげた。これには数時間かかったわ。この後は、本当は担当しているあるサイトの更新のために翻訳をしようと思ったけど、トイレ掃除、床掃除したあとにお風呂入ったら、なんか力尽きてしまった感じ。日本の古本屋のページでまたいろいろ本を探し、4冊注文。後は大学の生協のウェブサイトで2冊注文。そして今、ブログ書いてる。

今日読み終わった本は以下の二冊。

浅井久仁臣『パレスチナは戦争館−硝煙の街角15年のグラフィティ』(情報センター、1985年)
⇒なんでこの本を読んだのかは自分でもよくわかってないんだけど、ベットの脇においてあって、長らく読んでなかったので、読もうかなあとページをめくったら、結構、夢中になってしまった。ジャーナリストの浅井さんのイギリス留学以降のジャーナリストとしてのレバノン取材とエピソードはそれなりに参考になる。おもしろい。レバノン内戦時代のこと、イスラエルレバノン侵攻関係のことを研究上、もっともっと知りたいと思っていたところもあるので(手に入る本はそれなりに読んでいるけど)、読んでよかった。収穫あった。

和光晴生『日本赤軍とは何だったのか−その草創期をめぐって』(彩流社、2010年)
⇒友人がブログで紹介していたので、ついつい買ってしまった。そして昨日、生協に届いた。そして、浅井さんの本を読み終わってから、一気に読んでしまったー。あああ、今日はこの本で終わりか?とちょっとだけ悲しくなったので、友だちの報告の手直しをしたという感じかなあ。私は、新左翼系の運動が大変嫌いだ。フェミの視点からすると、ウエーという感じがする。日本赤軍には興味を持ったことも、今後持つこともないと思うけど、リブを生んだ背景にある新左翼系の運動のマッチョ性を理解するためにも一応、必要な時には読むことにしてる。で、なぜ彼の本を読んだのか?前作の『赤い春−私はパレスチナ・コマンドだった』が読み物として面白い、と思ったことがあったからだと思う。別に和光さんという人に興味があるわけではないし、これからも持つことはないとは思うけど、パレスチナということを考える上では読んでおいてもいいかなあとは思ったので前作を買ったというわけ。今度の作品は、そうねえ、一つふーん、と思ったのは、彼が書いたことが本当かどうかはこの本だけでは判断できないけれど、日本赤軍パレスチナ連帯といいつつも、現場に活動の拠点がなかった、ということ。その点に批判的に関心を持った。やっぱり駄目やん、って思ってしまった(それが正しいかどうかは分からないんだけど)。いかんせん、マッチョだよね。運動のやり方。それから、パレスチナ人の解放闘争を自分たちの運動のために単に利用してたんだろうなあ、とも思い(これは前から思ってたけど)、不愉快な気分にもなってしまった。読んでよかった、とは思ったけど、この本のなかで問題だと思った点は一つ。重信房子さんの出産等のプライバシーのことを書き、それを批判的に描いていること。極めて個人的なことなのに、それを運動の批判のなかに含めるのはどうかと・・・。新左翼系のおとこたちのなかに見られる女性に対する<モラル>というか、性道徳の押しつけがまさ(自分たちはどうよ、って感じだけどさ)を感じてしまった。

ああ、ブログを書いていたら、10時過ぎてしまった。ガッサーン・カナファーニが生きた時代、生きていた空間をもっともっと知りたい、と思って、レバノン関係の本を注文したり、そんなところから、浅井さんや和光さんの本も読んだのかなあ、という気もしてる。新しい本が届くのが楽しみ。今日はこのまま、また読書して、早起きしてやるべきことをやってしまおう。今から読む本?ちょっとだけ読みかけてるけど、山本譲司累犯障害者』(新潮文庫、2009年)。あるいは、堀川恵子『死刑の基準−「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社、2009年)かな。肥田舜太郎『増補新版 広島の消えた日−被爆軍医の証言』(影書房、2010年)にするかも。いずれにせよ、ベットに行ってから考えるか。ではおやすみなさい。