「自分の国」を問いつづけて

 崔善愛さんの『「自分の国」を問いつづけて:ある指紋押捺拒否の波紋』(岩波ブックレット、2000年)を読んだ。非常勤に向かう電車のなかで、その内容に夢中になる。指紋押捺というあまりに屈辱に満ちた「政策」を押し付けられて、どれほど多くの外国人が不快な思いをしてきたことか。「不快」なんて言葉では到底表わすことができないか。1999年に指紋押捺制度が全廃されるまで(永住者の指紋押捺は1992年に廃止)、この国では在住する外国人を「指紋」によって管理してきたのだ。昨年から、日本政府は来日する短期滞在の外国人の指紋を入国の際に取り始めた。とんでもない。

 指紋押捺を拒否したことで、「犯罪」を犯したとみなされ、起訴されてきた人々。二重の抑圧。崔さんもそんな一人だった。崔さんの裁判は、日本社会の人権意識を見る上で十分すぎるほどの判断材料になる。

 一昨日だったか、外国人登録制度をなくし、日本国籍者と同様に住民基本台帳にまとめるという案を総務省法務省が検討しているという記事が新聞に掲載されていた。外国人登録制度がなくなるとしても、悪名高き住民基本台帳に組み込まれるということは、本質的に何も変わっていないことと同じではないのか?

 崔さんが書かれていた「人間より法律のほうが尊いものであるかのようだった」(5頁)を目にしたとき、法律を専攻してきた私の胸はきゅっと締め付けられるような感覚に陥った。同時に法律を学んできたものとして、「恥ずかしい」と思ったのだった。