エルサレム−未来の記憶 ディアスポラ作家リアーナ・バドルの軌跡と

 岡真理さんの論考「エルサレム−未来の記憶 ディアスポラ作家リヤーナ・バドルの軌跡と聖地エルサレム」(アジア遊学No.86、勉誠出版、2006年)を読んだ。これはいい論考だ。共生を阻むもの、共生を物理的に拒否するもの、それに対する私たちの眼差しを考えさせてくれるものだった。

 私は岡真理さんに大きなものを学んできた。大学院生の頃、何度も繰り返し読んだ彼女の論文。そのときの記憶がよみがえってきた。常に「私」の姿勢を問うことを喚起してくれる彼女の主張。

 この論考の最後は、レイチェル・コリーに関する記述で終わる。彼女がブルドーザーの前で訴えてたこと。岡さんの言葉を借りると、「歴史的構成を求めている人々の声に私たちがどれだけ応え、この世界に歴史的公正さを実現したいと私たち自身がどれだけ考えているか、私たちの社会で不正であることは世界のどこで起ころうと不正であり、正されなければならないのだと考えるか、その意志の如何にかかっている」ということなんだろう。

 2005年12月、ベツレヘムで会ったレイチェルのお母さん。私はあのとき、彼女が「やさしい」笑みで私の顔を見たとき、レイチェルが全身をかけて抗議したその気持ちに対する表現を失ってしまった。私があのときに伝えようとしたことは、岡さんが指摘したことだったのだと思う。