「ペルセポリス:イランの少女マルジ」を読む

 アマゾンから、1)マルジャン・サトラピペルセポリス:イランの少女マルジ」(バジルコ、2005年)、2)マルジャン・サトラピペルセポリス:マルジ、故郷に帰る」(バジルコ、2005年)が届いた。それ以外には、白須英子「イスラーム世界の女性たち」(文春新書、2003年)と片倉もとこ「アラビア・ノート」(ちくま学芸文庫、2002年)が届いた。

 昨日と今日の朝、「ペルセポリス:イランの少女マルジ」と「ペルセポリス:マルジ、故郷に帰る」を読んでみた。おもしろい!純粋におもしろい。内容はおもしろいことだけではなくて、かなり深刻なものも多いけれど、主人公のマルジ(つまり、著者のマルジャンのこと)の反応、リベラルな両親の思想は、イラン革命以後のイラン社会に住む女性たちのことを考える上で、示唆を与えてくれるものだった。自分がどこから来て、何者なのか。。「西洋」で何者として見られるのか。これらの問いを考えるだけの材料をくれるものであったことは確かだ。人は過酷な状況にいると、さまざまな方法で抵抗するのよね。それがデモなどのような典型的な抗議行動ではないにせよ。

 この一年くらい、集中してやらねばならぬことがある。イギリスの植民地主義と中東との関わりをもっと問いただすことだ。イランという地、イラクという地、パレスチナという地で起きている出来事と人々の生に大きな関係を有しているのだから。ジェンダーと法の視点から分析できるよう、できるだけ多くの資料に目を通すことにしよう。大英帝国を支えたイギリスの大衆の意識についても分析していかなければ。植民地法とコモン・ローの関係についても。

 家に帰って、「五月のガザ」の残り−ああ、なんてまっちょな本なんだ−とアンナ・ポリトコスフカヤ「チェチェンやめられない戦争」(NHK出版、2004年)を読もう。