レバノン戦争:アラファトの90日(2)

 「レバノン戦争:アラファトの90日」をやっと読み終わったので、先日友人からいただいた「テヘランでロリータを読む」(アーザル ナフィーシー、白水社、2006年)と「五月のガザ」(押原 譲、講談社、2006年)を読み始めた。

 「レバノン戦争:アラファトの90日」は、読んでいてとても苦しかった。簡単に読めるものなのに、これほど時間がかかったのは内容が苦しかったからかもしれない。1982年のレバノン戦争で西ベイルートパレスチナ難民たちやパレスチナの解放を求めて闘うゲリラたちが、どれほど激しい砲撃に苦しんだことか。「悪魔」のようなシャロン(当時、イスラエルの国防大臣)の軍事攻撃、作戦にあぜんとするばかりだった。

 しかしそれ以上に、イスラエルという国が、いくらパレスチナ側が譲歩したとしても、一切の交渉を受け付けないかたくな姿勢をその当時も貫いていたことがよく分かる本だった。交渉の余地がない国、一つの譲歩を相手が受け入れたら、次の譲歩を突きつける国。そして自分たちはけっして譲歩しない。交渉というのは、占領側が歩み寄って始まるものでなければならないのに。まさしくサイードが嘆いた通り。

 この本でもう一つ印象的だったことは、同じベイルートにいながら、西と東ではその様子が随分違っていたということ。イスラエル軍は西ベイルートPLOの拠点がある)に激しい攻撃を加えていたのだが、東ベイルートでは、西の住民が苦しみぬいているときに、海辺で楽しむ住民たち、買い物を楽しむ住民たちの姿が見られたということ。あまりにも対象的だ。