「アッラーの花嫁」の問題

 「アッラーの花嫁」の問題は、端的にいうとおそらく一つ。ロシアが「対テロ」の名の下に、チェチェン人に対する過酷な問題を引き起こしてきたことが十分に書かれていないということだ。チェチェンの女性たちによる自爆攻撃の背景にいる男たちのことは指摘されているが、肝心の自爆攻撃が起きるその原因となっているものに対する視点が弱い。自爆攻撃の理由とされているもの、あるいはきっかけの一つとなっているものを分析ことなしに、どうやって「テロ対策」ができるというのだろうか。テ
 
ロを起こしているのは、自爆攻撃をしている「側」なのか?ロシアによる国家テロは関係ないとでもいうのだろうか。核にあるロシアの国家テロに言及することなしに、「アッラーの花嫁」と呼ばれた女性たちのことを描くことができるというのだろうか。参考にすべきポイントは示されているけれど、肝心なことが抜け落ちている。もちろん、自爆攻撃者の女性が「被害者」であるという視点には共感するべきものがあったけれども、著者自身の「ロシア人」としてのポジションに対する言及がないことに、読みながらイラついてしまった。
 
 今日の朝はこの本を読んでいたので、出勤が11時近くになってしまった。さて、家に帰って「柘榴のスープ」でも読もう。そうそう、アマゾンから徐京植「青春の死神:記憶のなかの20世紀絵画」(毎日新聞社、2001年)が届いた。実家にあるような気もするけれど、買わずにはいられなかった。読むのが楽しみ。再読かしら?でもそんなことどうでもいい。徐さんの本は再読の再読の再読に値する。